困難を乗り越え、世界で活躍するバイリンガルな女性5選

ジェンダー平等を推進するキャンペーン『He For She』や女性の活躍を応援する政策など、社会での女性のあり方を見直す動きが大きくなりつつあります。
今回は、言葉の壁を越え、英語を一つの武器に、世界を股にかけて活躍する女性たちをご紹介します。

Malala Yousafzai(マララ・ユスフザイ)


教育活動家・ノーベル平和賞受賞者(パキスタン出身)

Malala
©Malala Yousafzai by Southbank Centre

 

日本でも大きく取り上げられた、史上最年少のノーベル平和賞受賞者、パキスタン出身のマララ・ユズフザイ。
彼女が生まれ育った街は、2008年にタリバン勢力によって、女性の教育を受ける権利を奪われてしまいます。当時11歳だったマララは、パキスタン人向けのBBC、『BBC Urdu』にタリバンに支配された生活の様子を日記として投稿します。そこで、女性が教育を受けられないことについて、タリバンを批判するような内容を書いたことから、彼女は命を狙われてしまう羽目になりました。

そして事件が起きたのは、2012年。学校帰りのバスの中、タリバンメンバーに襲撃され2発の銃弾を受けます。
銃弾摘出のためにイギリスに渡り2度の大規模手術の末、奇跡的に回復したことから、彼女の行動は世界に注目を浴びることになったのです。

マララが17歳の時に受賞したノーベル平和賞の英語のスピーチでは、両親に感謝をする場面があります。
中でも彼女の父親に向けた言葉で、「私の翼を折らずに、羽ばたかせてくれてありがとう」といったときには大きな拍手が起こります。
マララは現在、イギリスのオックスフォード大学で哲学と政治経済学を学んでいます。

 

Sandra Cauffman(サンドラ・カウフマン)


NASA科学者(コスタリカ出身)

 

1969年7月20日、アポロ11号が月面着陸を成功させた瞬間を近所のテレビ画面で見たのは、サンドラが7歳の時でした。
その時点でサンドラは既に月に行って見たいという強い思いを抱きました。その出来事はサンドラに大きな衝撃を与え、母親にも「自分も月に行く」と話していたそうです。

コスタリカの貧しい家庭で育ったサンドラの幼少期は、決して楽なものではありませんでした。
母親は、3つの仕事を掛け持ちしながら家計を支え、時には住む家の確保すら難しいときもあったそうです。
しかしながら、娘のサンドラには夢を追い続けるよう、勉強に集中出来るようにしたそうです。

やがてサンドラの母親は再婚し、アメリカのヴァージニア州に住むことになりますが、最初は英語をまったく話すことができませんでした。しかし、それがハンデとなることはありませんでした。サンドラは更に勉強に勤しみ、やがてアメリカの大学に進学します。アメリカの大学では、物理と工学を同時に専攻し、大学院では電気工学を専攻します。
大学院卒業後の1988年、サンドラは契約社員としてNASAで働き始め、1991年には正式にNASAの社員となります。そして、コスタリカ人で始めての火星探索計画『メイヴン』に携わることになり、彼女が準備に携わった備品がロケットで打ち上げられる瞬間を目撃しました。今では、アメリカ国内で最も影響力のある女性科学者として有名になり、国連Womanでも多くの女性・少女のお手本となると注目されました。

 

Immaculee Ilibagiza(イマキュレー・イリバギザ)


作家・演説家(ルワンダ出身)

Imaculee
©Immaculée Ilibagiza by Rwanda Embassy DC

 

1994年、推定100万人もの大勢の犠牲者を出した、ルワンダの大虐殺をご存知ですか?
約100日間にも及ぶ恐怖の日々の中、畳一畳ほどのトイレに隠れた8人の女性達がいました。
その8人の女性の一人がイマキュレーでした。

イマキュレーは、敬虔なクリスチャンの比較的裕福な家で生まれ育ちました。
フツ族の民兵組織の魔の手が迫るなか、彼女の父親は友人でフツ族の牧師と一緒に避難するよう言います。
暴力が過激化し、窮屈なトイレから出ることも叶わなかったイマキュレーは、いつか国連で平和運動に従事する仕事に就きたいと思うようになります。そうして死への恐怖と戦いながら、牧師に借りた英語の聖書と辞書でひたすら英語を勉強します。

終戦後、イマキュレーは働き手を捜しに、毎日のように国連に通い詰めます。
そして念願かなって、書記として働くようになり、その後はルワンダの救援物資の輸送責任者になります。

 

Roya Mahboob(ロヤ・マブーブ)


実業家(アフガニスタン出身)

Roya
©140.SWITCHPOINT.2017 by IntraHealth International

 

ロヤが始めてコンピューターに触れたのは、彼女が16歳の時でした。
タリバン政権の下、女性は学ぶことも働くこともましてや一人で外出することも禁止されていましたが、2001年に政権崩壊後は男女平等の権利が規定されました。
女性もインターネットカフェへの出入りが自由になった時、友達を連れてヘラート初のインターネットカフェに入ったのが、コンピューターとの出会いです。

国際連合開発計画(UNDP)が開講していた女性だけのテクノロジーコースに出願し、その後は、アフガニスタンにあるヘラート公立大学でコンピューター科学情報とコミュニケーションテクノロジーの学士号を取得します。2009年の卒業後はヘラート大学のITディレクターに就任し、後に高等教育省のプロジェクトコーディネーターになります。彼女の功績は、2010年に企業したACSC(Afghan Citadel Software Company)で女性のエンジニアを積極的に採用し、20人近く採用したプログラマーのうち半数以上は女性だったのです。RoyaはTimeマガジンの影響力のある人物100人の一人に選ばれました(2003年)

 

Angela Merkel(アンゲラ・メルケル)


ドイツ連邦共和国首相(ドイツ出身)

ドイツ国内初の女性首相となったアンゲラ・メルケル氏。幼少時代はまだドイツがベルリンの壁によって東西に分けられていました。彼女の母親はラテン語と英語の先生でしたが、アンゲラは程独学で英語を習得します。イギリスの共産党系新聞『Morning Star』を読んで英語を勉強していたと明かしています。ベルリンの壁が崩壊したことを機に彼女の人生は大きく変化します。

1989年にベルリンの壁が崩壊したのと同時に、アンゲラは政界に脚を踏み入れました。その後着実に政治家としてのキャリアを積み、民主党の党首になります。そしてついに、ドイツ国内初の女性首相となったのです。

 

番外編:Katharine Graham(キャサリン・グラハム)


Katharin Graham
役員の中で唯一女性のKatharine Graham

3月末から日本でも公開が開始された映画、「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」をご存知ですか?
ここで映画のことに関しては詳しく書きませんが、この映画は、1971年にアメリカで実際に起きたアメリカ全土を揺るがしたペンタゴン・ペーパーズ暴露事件をを映画化したものです。

この映画の主要キャラクターの一人でもある、Katharine Graham(キャサリン グラハム)は、フォーチュン誌が選ぶ「Fortune 500」企業で女性初のCEOとなった人でもあります。実はこの女性、カプランとの繋がりもあるのです。彼女の父親であるユージン メイヤーがワシントン ポストを買収し連邦準備制度理事会の議長になった後は、フィリップ グラハムが後を引継ぎ事業を拡大していきます。フィリップの死後は、キャサリンがワシントンポストの経営に携わります。
そして私たちKaplanは、1984年にキャサリン率いるWashington PostによってGraham Holdingsに仲間入りしたのです。

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